「研究の(似非)姿勢(エッセイ?)」

[http://www.csis.u-tokyo.ac.jp/~arikawa/MyResearch/research-essay-j.html]

「自分の"Reflection"と"Refinement"の仕方」 Reflectionとは結局「鏡に映す」という意味だけです. Refinementとは「自分の思考に磨きをかける」という意味でしょうか. 自分の中には,いろいろな考え・知識・理解・思い・思い込みがあります. これらを自分の中の「思考風景」と名付けてみましょう. それらは,多角的で,一貫性のあるもので無い場合がほとんどです. 自分の中の思考風景を言葉で表すのは難しいものです. すでに,誰かが作った/発した言葉を使って,つまり, 引用して/まねして,言うのは,簡単かもしれません. しかし,少しニュアンスが違っていることもあるのでしょう. この風景をうまく言葉にできる人が,概念を整理するのが うまい人なのでしょうか? うまく言葉にできるというのはいろいろな意味があります. 1つは,その風景からスケッチを作るのですが,そのスケッチが うまい人も下手な人もいるのでしょう. たとえ,どんなにすばらしい風景を見ていても,スケッチの能力が 低いと,そのスケッチを人に見せても伝わらないのです. また,逆に,貧困なスケッチを見て,それを見た人は,本当の 風景を想像するのかもしれません. 一度,行ったことのある風景ならば,貧困なスケッチを見ても, リアルな風景を想像することができるかもしれません. また,うまいスケッチは感動さえ呼ぶことと思います. もう1つのスケッチは,実写でしょうか? つまり,現実世界を忠実に,矛盾無く,スケッチが描けるか どうかと思います.これは,できたスケッチに矛盾があるか どうかは,見ている人の能力にも依存します. たとえば,自分の中の思考風景をいきなり,絵画にはできないと 思います.まずは,骨格となるスケッチを描いたり,あるいは, 一度,描いて,それを手直しするはずです. いきなり,絵の具で描ける人もいるかもしれませんが,これは特殊で, あるいは,特殊な流派かもしれないと思います. そこで,問題となること,言葉と同じですが,間違ったことを 言わないようにすると,言いたいことが言えない. 言いたいことを言おうとすると,余計なことを言ったり, 配慮が足りない発言になることもある. #もちろん,熟練者は,言いたいことを,適切な言葉で言えるものです. 目的が,自分の思考風景を他の人に分かる言葉や図として表現したい場合, とにかく,自分の一貫性チェック(潔癖主義)の部分を緩くして, とにかく,吐き出すことが大事では無いかと思います. 吐き出した結果は,(1)矛盾が多かったり,(2)思考/論理が飛んでいたり, もします. #これが,「生成」のフェーズです. そして,自分が吐き出した矛盾のある言葉や図を見て,矛盾を叩き, そとに出しても問題無いものに仕上げていく,ということが大事だと思います. #これが,「矛盾解消」のフェーズです. このとき,本当は言いたいのだが,これを入れると誤解を呼ぶ,あるいは, 全体の一貫性のある美しい流れが乱れる,あるいは,まだ深く掘りさげて いないので,中途半端に出すと,やはり,全体の質が下がってしまうということが あり,言いたいことを削らなければならないのでしょう. これは,妥協ともいいますね. #これは,「総合(Generalization)」のフェーズでしょうか? これが,ものごとのまとめ方ですし,また,論文の書き方でもあるし, 研究の進め方と思います. とくにかく,最初は,恐れずに,思うがままで,言葉や図(まとめて,スケッチ)を 生成することが大事と思います. #これは,人前ではなく,主に,一人あるいは,プロジェクトでの行動基準です. #私は,生成のフェーズと,矛盾解消のフェーズと,総合のフェーズ,を行う場合は, #時間と場所を変えて,そのモードを自分を作り上げます. そして,生成されたスケッチを見て,それは自分のreflection(投影/反射)を 見て,また,自分の中を整理したり,新しい発見があるものです. そして,自分の思考を増幅させていきましょう. このようなフィードバックの結果,スケッチを美しい作品として行くことが どんな作品の作成過程としては当然でしょう. 何度も自分をreflectさせて,作品をどんどん作る,そして,洗練させることが 重要でしょう. #ちょっと,最後の終わり方がいまいちでしたね. #これも最初はスケッチで,少し叩いて,もっと言いたいことを含めて, #全体としては美しい流れになるようにしたいと思っています. #今回も,締切りを過ぎた仕事が山程になってこんなことを書いています. #Creativeにならないと裁けない仕事なので,そんなとき,自分をCreativeな #状態にするのですが,そのとき自分の状態をスケッチしたのが今回の文章です.  (2002.5.12, M.Arikawa)
「デジタル社会と人間」 #岩波「科学(70周年記念)」(特集 あなたが考える科学とは?)向けに #真面目モードになって書いた原稿です.4月に書いたのですが,やっと #12月号に掲載するようです.あまりくだけてませんが,載せておきます. 1.人・社会づくりの情報科学 古典的なコンピュータ科学では,高度な処理を速く実行できる枠組みを, 制約のあるハードウェアの上でいかにつくるかが大きな課題であった. しかし,IT(情報通信技術)の急速な進歩により,最近では,極端に高 性能なコンピュータを仮定し,物理的にはほとんど制約のないハードウ ェア環境上にいかに優れたソフトウェアを実現するかという問題と向き 合えば良くなってきている.コンピュータで対象とする問題は,まるで, 無限の可能性を秘めた子供にどのような環境を与えれば優れた人間や社会 をつくることができるかという,人間・集団・社会形成の根本の問題に 近づいてきている.つまり,人間は制約のないハードウェアのようなも ので,能力をいかに発現させるかは,自分を含む環境次第であるという 事実に似ている. 2.デジタル社会の到来と不安 コンピュータや通信において制約がなくなると,焦点はその上で扱う情報 そのものへ移り,情報科学が重要となってくる.情報科学における主な 問題は,情報をいかにつくり,整理し,流通させるかなどである.これら は,コンピュータが出現する以前から存在する問題であり,コンピュータ がない場合における最適に近い現実的な解法が,現在の社会システムとし て存在する.しかし,ITの出現により,今よりも便利な環境をわれわれは 手に入れようとしており,従来の社会システムの枠組みを一変する段階に, 今まさに入ろうとしている.ITを有効利用した社会システム,つまりデジ タル社会をつくることは,利便性の面でわれわれの環境を良いものにする だろう.現在の社会システム,たとえば,民主主義や資本主義などあらゆ る社会の原則は,人類の長い試練の歴史を踏まえて人類が築き上げたもの であり,現在の人類はその恩恵を受け,かなり理想に近い社会で生きてい る.しかし,社会のデジタル化はまだ始まったばかりであり,その実現に よる影響がどの程度あるのかは分からない.社会の近代化に比べれば小さ いかもしれないし,逆に社会システムを根本から変えるかもしれない. われわれは,デジタル社会が今後どのような方向に進むかすら予想がつか ないが,社会がデジタル化するという方向は止まらないだろう. 3.良いデジタル社会とは デジタル社会は,われわれの生活を豊かなものにするのはもちろん,科学 をはじめとする人類のさまざまな知の共有を効率化させ,科学・技術・文化 ・芸術の発展をますます加速させるに違いない.また,インターネットを 使った情報公開により,より開かれた健全な社会システムをつくることが できるだろうという確かな期待もある.一方,デジタル社会の悪い面として, 社会全体が悪い方向に行く場合に,情報伝達が速いために抑えがきかなくな る可能性がある.デジタル社会に関しては,われわれ人類は試行錯誤を始め たばかりで,知識が乏しく,今後,予想もつかない失敗と悲劇を経験するこ とになるだろう.具体的には,プライバシ,セキュリティ,情報漏洩,著作 権侵害の問題など,デジタル社会を悪用するネガティブな動きや,使い方を 過って起きた事故に遭遇することも多くなるだろう.今後,デジタル社会を 健全なものに発展させるための枠組みを体系化することが,情報科学におけ る最も重要な課題と考えられる.この枠組みの先駆的な成功例の一つがイン ターネットであり,このインターネットという機構が技術的にどのようにし てつくられ,なぜ社会的に健全性があるかを体系的に理解することが,デジ タル社会の構築原則をつくる上での鍵になるだろう. 4.バーチャル環境としてのデジタル社会 従来の科学は,人類の存在以前に存在した(神がつくった)「自然」の原理 の解明であったり,自然の原理を使って人工システムを実現することであった. つまり,自然界の制約と規則を明らかにし,それらをうまく利用して生み出 した人工システムによって,豊かな物質社会をつくり出した.情報科学の 基底は自然科学とは異なり,自然界の原理から始まるのではなく,むしろ 数学に近く,自然界の制約と規則を無視して,0と1を原子とし2進数代数を 基本規則と仮定することから始まる.ここでは,制約はほとんどないと言っ て良く,0と1の原子を巧妙に何層にも組み立てて,現実世界の事実や人間の 知を表現したり,人間の能力を拡大させる人工システム(これをバーチャル 環境と呼ぶ)をつくる.人間の創造する力は予想もできない極端なバーチャ ル環境をつくり出す可能性もあり,その極端なバーチャル環境は,われわれ をより健全なデジタル社会へと導く優れた環境となるのか,逆に不健全なあ るいは破滅の方向へ導く悪い環境になるのかは分からない.そして,バーチ ャル環境の集大成であるデジタル社会は一つの生命体と考えるのが自然であ る.従来の社会との違いは,その細胞である個々の人間同士,および組織と しての集団同士の神経網としての通信ネットワークが高度化するだけではな く,コンピュータ自体が一部の細胞や組織として機能することになる点であ る.コンピュータ自体が人間の知的活動に置き換わる人工知能のような知的 ソフトウェアがつくられ,デジタル社会の一部あるいは大部分が自律化する 可能性はある.しかし,どのような場合でも,人間が常に状況を完全に把握 でき,また主導権をもってデジタル社会の自律暴走を抑止できるしくみを最 重要機構として実現しなければならない. 5.バーチャル環境は人間の投影 われわれ人類が現実世界という制約と規則の中で進化した機械である以上, この機械を良い形で維持する環境をデジタル社会としてつくり上げなければ ならない.デジタル社会を構成・維持するための理想的な制約と規則とは何 であるかはまだ解明されていない.この状況は現代社会の原則が確立する以 前の状況に似ており,デジタル社会において人間が幸福にそして知的な存在 になることができる制約と規則,つまりデジタル社会の原則をいかにしてつ くるかが重要問題である.もちろん,人類だけではなく,地球全体の自然環 境を考慮したデジタル社会の原則づくりを行わなければならないことは言う までもない.デジタル社会を無からつくると言っても,われわれ人類には, 現在の社会システムを数百年〜数千年かけてつくった経験と知識があり, これはかなり完成度の高いものであるので,これを手本につくれば良いので ある.現在の良い社会が出発点となるので,次の良いデジタル社会への移行 は,前近代的社会から近代社会への移行に比べれば困難は少ないだろう.  デジタル社会で考慮すべき,あるいは実現すべき制約の例を一つあげる. たとえば,現実世界では,ある店に行って物を買うときには,客は店員と必 ず顔を合わせることになる.この制約により,客と店員はさまざまな種類の 情報交換を無意識に瞬時に行い(情報交換を行わない人もたまにはいるが), そして何らかの手続きを実行する.そこでは,社会常識という制約のために, お互いに常識から外れたことはできないし,その場がお互いの信頼確認の場 としても機能する.一方,インターネットでは物を買うときに必ずしも顔を 合わせる必要はなく,客の存在情報を残さないで物を買うことができる場合 もある.これを逆に悪用できることは簡単に想像が付く.インターネット上 での物品の購入の際に,購入者の顔が見える,あるいは購入者の情報がきち んと残ることを保証することは,本質的に重要な機構である.この例は, バーチャル環境を現実世界の模倣として実現することが良い場合が多いこと を示唆している.つまり,人類は大変長い時間をかけて自然環境に適合する ように進化してきた.そして,これからの数年〜数十年というで短い時間で, 人類は自分たちに合うバーチャル環境をつくることになるだろう.自然環境 を鋳型にたとえると,その鋳型に合う形になった存在が人間である.そして, 人間の形に合うようにつくられるバーチャル環境という鋳型は,必然的に 自然環境という鋳型と相似のものとなる. 6.デジタル社会の自己浄化能力 デジタル社会の実現におけるもう一つの課題は,現在の社会からデジタル社会 への段階的移行の枠組みを,無理のない,被害の少ないものにすることである. インターネット上での技術の発明,運用方法,標準化の決定方法の枠組みは, それが人類にとって良いものであるかどうかという判断を,多くの人々に喜ん で利用されたかどうかという基準を使って実現されている.情報の生成,循環, 発展,隠蔽,消滅などの枠組みを,われわれが現在生きている環境に適合する ものに築き上げるには,経済的な観点からも考慮する必要があり,それ自体が 社会・経済・産業構造の改革につながる.このように,情報科学で扱うべき 問題は技術的問題から始まるが,技術者によってつくられたバーチャル環境の うち良いものが残り,悪いものは排除されるといった,バーチャル環境を自然 淘汰する機構を社会的フィルタとして適切に実現しなければならない.つまり, 個の知的レベルを上げ,その集合体が自己浄化能力をもつデジタル社会を形成 することが,健全なデジタル社会の実現につながる.このデジタル社会の自己 浄化能力というメタ原則を発現させるためのバーチャル環境の原則の体系化が 急がれる. (以上) (2001.10.16, M.Arikawa)
「不自由の自由」  なんでもすぐに手に入るというのは,一種の自由を手に入れたことになるだろう。 だって,不自由を感じないでしょ。 しかし,そうすると何かをやろう,という「思い」が無くなる,あるいは,薄く なる,と思う。これは,魂が縛られているようにも思える。実は,これは,魂が不自 由になっている,ことのように思えます。つまり,自由な環境が,不自由な人間を生 み出しているように思えます.  「魂が自由」ということばを使っているが,特に,定義があるものではない. #私が定義をしないといけないのだろうか??? 不自由だから分かることがある.たとえば,落ち込んだら,現実世界がよく見える. 病気をしたら,考え方も風景も変わる.現実世界が見えないから,できることもある のも,たしかだ.若いから,....などはその際たるもので.それは一般には良い 響きではないが,実は,うらやましいこともあるのだ.多くの不自由をした人が, 本当の魂の自由を獲得できる,というのももっともらしく聞こえてくるような気がする. 私の実生活で,不自由だから,良い発想がたくさん出てくるときがある.抑圧される から,ちゃんと考えるようになる.不自由はもともとあったんだ.だって,人間は飛 べないし,のどが乾く,のは自然なのだ.その不自由が少ない環境に住んでいるので, 人間が本来持つ不自由さを我々は忘れかけている,のだ.... 好んで不自由になれ! など,言うと,若い人に嫌われそうですね... とりあえず,私は,原稿締めきりという不自由に襲われたとき,こんなエッセイが書け るのだ.本当に自由なときは,まったく考えていない人なのだ.... 私は,重いNotePCと重い資料をたくさんいれたバックをいつも持ち歩く.それらが必ず, 使われるとは限らないのだが,万が一,必要になったときに,それらがあるとないと では,時間の有効利用の仕方が全く違うからである.これは,重い荷物という投資を 行っているのか? #もう一方で運動不足のために体を鍛えているという意味もあるが... しかし,ほとんどの場合,使わずに,結局,おもりを担いであるいているだけである. 実は,バックの中には,使う可能性が極めて低いものもたくさん入っている.これらが 近くにないと不安を感じるというのは一種病的でもあるなと思う.そこで,最近,バッ クのスリム化をはかり,NotePCをPDAやケータイで代用するようになって来た.僕のNote PCはなんでも入っている,ここに仕事と研究のすべてのデータがあると言っても過言で はない.その重い3KgのNotePCを持って行かずに,NotePCの一部をPDAやケータイにコピ ーして,外を歩く.これは,PDAが発達していることもある.PDAを使って,今やるべき 仕事の6割のデータは持ち歩くことができるのだ.4割はがっかりするが,それは仕方 がない.しかし,たくさんのデータを持ち歩かない,ということが,つまり,仕事を絞 って,それに意識を集中できるようになれる.そう,自分が軽くなれれば,軽快にはし ることもできるのだ.また,持っているデータが少ないと,それで,他のデータを諦め てしまうので,やはり,それに集中できるのだ.こんな感じですね.....これも1 つの不自由による自由の例です.いや,自由の不自由かもしれない.これらのことって, 結局トレードオフ. #しかし,あと数年もすれば,PDAの機能があがり,この中に, #すべてのデータを入れて持ち歩くようになるのでしょうね.... 最近,PDAの上でペンを使って,原稿を書くことがある.キーボードの入力スピードの 10分の1ぐらいのスピードだ.これは不自由と思う.しかし,こんな不自由な状態だと, 文章を生成するスピードが落ちて,逆に,そこに,たくさんの思いが入ってくる.結構 考えるのだ.キーボードは入力が楽過ぎて考えないのだ.また,PDAの良いところは, どこでも入力できるということですね.電車の中であろうと,会議中であろうと,原稿 が書けるのだ.自分の世界に入れるのだ.そして,それが電子化している.これも,私 にとっては,かなり新しいパラダイムだ.実際には,その原稿をNotePCに移して読んで みたら,内容も日本語も雑だが,叩き台になるし,そのときの思いはきちんとつまって いる.キーボードだと,すぐに思い付くが,すぐに忘れる.とにかく,頭へのuploadも downloadも早いのだ.それがいいのか悪いのか分からないが...あと,PDAは画面が 小さいのがいい.たくさん見えないから,短い文に,私の精神のビームを浴びせかける. 不自由は,そして,思考速度の低速化は,もしかしたら,我々の心を浄化するのかもし れないと思う. そう言えば,筑紫哲也が,fast foodならぬ.slow foodと言っていました.ゆっくりて いねいに作った料理を,ゆったりした部屋でゆっくり食事するのが良いこと.これが精 神を豊かにして,良い仕事をすることにもつながる.早いだけ,が価値観ではないです よね.もちろん.最近,INTELも,速さからの脱却と言っていますよね.ちょっと意味 が違いますが. #消費電力が小さいというモバイル向けの評価基準の方もかなり重要になった. 価値観なんて思い込み.自由と思っているものが,実は,見方を替えたら,不自由なの だよね.不自由と思うものも,よくよく冷静に考えると,自由と思えることが多いのだ よね.結局,不自由の中に,どれだけの自由を発見できるか?逆に,自由の中に,どれ だけの不自由を見つけれるか?ということが,生活の,そして,人生の知恵を持つとい うことにつながるのだろうね. 僕はよく喫茶店で論文の原稿を書く.なぜ,喫茶店が良いのだろうか????自分の部 屋だと,廻りにいろいろあるからそれらに気を奪われる.おまけに,すぐに,ネットワ ークにつないで,Webを見たり,eamilを読んだりする.そうなのですよね.自由に情報 にアクセスできるというのは,実は,自分の頭の中にすでにある情報を構造化するチャ ンスを失う瞬間でもあるのだよね.全身全霊で,つまり他のことを完全に忘れて,それ に集中できる瞬間ほど人間がパワーを十分に発揮できるときはないのだ.少しでも陰り があれば,そのパワーはもしかしたら,1/10ぐらいになるのではないだろうか? 100%のパワーを日頃から出す体験をした方が良いと思うな.実は,今も喫茶店で文 書を書いている.人の声がうるさいというのもあるのだが,パワー100%出ていると きはそれも聞こえなくなる.喫茶店に一人で来たら,キーボードを打つ,あるいは,原 稿のことを考えること以外やることが無いのだ.そんな不自由な環境が実は自己実現を 可能にするのだよね.自分になれる瞬間だ.個室にいる自分よりも良い自分を見ること ができるのだ.他にも,理由があるのかもしれないね.音楽がリズムになって,体を動 かす.無意識に働きかけているのではないかと思う.それから,内弁慶の僕はそとでは, 人の視線があるところではまじめにするのだよね.図書館でも,子供のときから勉強が はかどった.一人になると,たのしいことばかり考えちゃう.遊んじゃうんだよね. 遊べない環境を作るのが大事.だけど,研究しかできない状況にしても,どんな苦境で も,よい仕事をしている状態は,遊んでいる状態だと思う.環境に制約を与えて,思い っきり遊ぶというのが,自分にとっては良いのだ.研究も原稿書きも結局遊びの延長な のだから.逆に,おもいっきり遊べなかったと思うような,暗ーくなる仕事をした結果 は,結果もよくないものだ.おもいっきり仕事をしよう.精神が自由でないときの仕事 は意味がないよね.だけど,始めて来た土地では,右も左も分からず,精神の自由が得 られるのには時間がかかるけど.これも,まじめに自己投資した人は,大きな自由が後 で得られるのですよね.これらのことって,私にとってはあたりまえなのだが,若い人 は結構見えていないのだよね.だから,はずかしいけど,あたりまえのことを書いちゃ います. これ以外もいろいろありますよね.自由の不自由.不自由の自由.もっと良い例があっ たら,また,似非姿勢を書きます. それから,これの議論で,自由とは何か?不自由とは何か?という定義がきちんとして いないのが実はトリッキーなところなのです.分かったかな〜〜〜〜?本当は,自由と 言ってもいろいろとまざっていますね.当たり前のところでは,物質的自由.精神的自 由.というのも相対関係だけのような気もしますね. いっやーっ,今の人々は皆幸せですよね.....絶対的に....それを不幸せと思 い込んでしまう人が本当は不幸せな人だよね...しかししかし,不幸せと思っている ときが実は一番世界が見えるのだよね....... #また,同じことを書いてしまった.深夜の文章でした.渋谷駅南口ロイヤルホストにて. #なんか,似非姿勢が,書けば書く程,長くなるのだ.....なぜ???? (2001.8.29, M.Arikawa)
「夢はVisual?Logical?Desire?Constraint?」  今日はたくさん寝た.たくさん夢を見た.  たくさん夢を見たら,結構,気持ちよかった.  現実世界では,できないようなことができるから.  現実世界は制約が多過ぎね.  寝る前は,現実世界で意識朦朧で,やはり白昼夢を見ていた.  起きているときは,夢に縛られている.現実的だが.  寝て見る夢は,むちゃくちゃだが,開放的で,新しい方向性を示唆させてくれる.  これらはバランスか?  起きているときに,良い夢を見れる人は,幸せなのだろうね.  はっきりと分からないが,夢が人間の行動の発動力のように思う.  「夢がない」という夢を見ている人は,悲しいかな,不幸だ.  「夢がある」という夢を見ている人は,幸せかもしれない.  しかし,良い夢を見ていても,他人に迷惑になる場合もある.  結局,できるだけ多くの人々で良い夢が見れれるようにしないといけないのだろうね.  そして,集団として,ハッピーになるためにはどのようにしたらいいのだろうか?  答えは1つではないけど,間違った夢かどうかは,なんとなく分かる.  局所的には悪い夢だが,大局的には良い夢だったりするのだ.  逆もあり,局所的には良い夢だが,大局的には悪い夢だったりするのだ.  疲れているときは,悪い夢を見る.なぜか?早く現実を離れて,寝ろという制御力かもしれない.  幸せな夢を見ているつもりでも,実は,現実では,不幸になっていくこともある.  幸せな夢を見ていても,その夢は夢だよ,と,水をかけてくる人もいる.#Wet Branket  大きな夢を持っていても,生活で失敗している人もいる.  どんな人も,正気なときも,少しは皆夢を見ている.夢とはシミュレーションのモデルが  我々の頭の中にあるということではなのか?  自分の夢を,他の人の夢と融合しようという夢を見ている人もいる.  自分の夢を,まったく無視するという夢を見ている人もいる.#男に多い.女も多いよな.  他人の夢を,自分の夢として,夢見るように努力する人もいる.#そんな暇ないよ.という夢を見る人もいる.  美味しい夢もある.つらい夢もある.  もしかしたら,自由自在に夢が見れる人が超人?  いや,多くの夢を見た経験がある人が賢人?  子供の夢をまだ見ている人が純粋な人?  現実世界を生きる限り,現実世界の制約を夢というシミュレーションモデルに入れないと  生きていけない.  多くの制約の中にも,良い夢を見る抜け道はあるはずだ.その夢を創れる人が事業家なのか?  事業家になれる夢はどのような夢であるかを書いた本がhowto本.  今いる環境の夢を頭に描きつつ,自分が仕事とする対象の夢を見る.  結局,何がゴールかは分からないが,現実世界の夢も見れて,夢を共有できて,  そして,大きな夢を見れるようになるのが幸せの条件だろうか???  #文に切れがないね.うーーん.と,いう夢を見ている....  「行動と夢」  夢のとおりに行動ができたとしたら....  それは自信満々となるのだろう....  何が自信....  体を動かすことが幸せな人もいる....#Workholic?  体の自由.体の不自由.行動の自由.行動の不自由.精神の自由.精神の不自由.  不自由の意味が分からないと,自由は分からない,のだろう.  不自由があって,自由がある.不幸せがあって,幸せがある.  片方だけだと何も見えないのだ.  幸せな人は,過去に不幸せになったことがある人.  ということは,幸せになるためには,不幸せになることか?  インフルエンザの予防注射のようなもの.  日常的な軽い不幸せは,大きな幸せを呼ぶのかも知れない.#結構いいよね.これは.  しかし,知らぬが仏,というのもあるよね.  世の中,あんまり見えなくても,幸せなこともあるのだよね.  これは,信じるものがあるということ.そして,その信じるものが裏切らないということ.  信じるものがない人は不幸せ.幸せとは,信じるものがあること.  #幸せの定義はいろいろあるな....  信じることが力になる.信じることと夢とは同じかもしれない.良い夢だろう.  しかし,裏切られたらどうする.....  そのときにも,きちんとrecoveryできる....  そんな生命力が必要....何が生命力....  #こんな感じで,いろいろな概念をシミュレーションできるのが,生命力かも....  #しかし,これは淋しい人かも.つまり,だれも信じてはない人なのだろう.  #100%信じられる人....が価値があるのだろうね...  #しかし,それは,個人だけの問題だけ.会社を,社会を,100%信じるというのは  #まったく迷惑なことだ.そんなわけないから.純粋は迷惑な状況を生むことなのだろう.  #裏を読めることは1つの生命力だが,それはやっている人は姑息に見え,魅力がなくなるのかも...  #裏を読まなくても,生きていける人,が,実は超人だったりする.それが,長島監督?  #彼の夢は,廻りの人を幸せにしますね....  #話がメタメタになりました.....  (2001.8.23, M.Arikawa)
「心に地図を描こう.それを測ろう,デジタル化しよう,共有しよう...」  不安になるとき,いったい自分はどうなっているのだろう.  今後どうなるのだろう.そして,不安になる.  道に迷ったのと同じ状態?#不安の空間情報科学  廻りが見えていないからではないだろうか?  とりあえず,自分が今どこにいて,今までどこを通ってきて,  今後どこへ行くのか,が分かる地図を心に描くことができると,安心する.  #しかし,本当にそんなことできるのだろうか?  その地図があいまいでも,何も無いよりは良い.  #結局,位置付けといっても,背景地図が無いと無意味だ....  #心の地図はなくても,心の空間のナビゲーターがいればいい,  #という,幸せ者もいるのだろうね.少なくとも,僕は違う.  #ユング的には,心の地図を描かせるために,人には不安になる機構が備わって  #いるとも解釈できる.不安になっている状態は,情報収集を集中的に行っている,  #あるいは,行うための前準備をしている状態だ.  #不安(Complex)は,行動/成長のポテンシャルだ.  人生を旅にたとえるとすると,その旅をサポートする地図とは  何だろうか? #誰か知っていたら教えて下さい.  それは本? #本屋さんのまわし者みたいね...  以前そこを訪れたことがある(同様の体験をしたことがある)人々が残した記録.  本も地図も疑似体験(Simulation, Time Trip)を可能にするもの.  知識も空間化(図化)しないと,人には理解できないでしょうね.#知識の空間化  #文章を読んで理解したら,心に何か絵が描けていませんか?#Figure out = 理解した  #目が見えない人も心には絵を描くはず.だから,心の絵とVisualとは等しくはない.  #だから,心の絵のことを「空間」という.空間は,視覚,聴覚,触覚とは直交する概念?  #犬も猫も鳥も心に絵を描いているのだろう.  #虫や魚や細菌に心があるかは分からないし,絵を描いているかは知らない...  #絵を描く,ということは,「イメージする」ということでしょう.#そのまんまや  #イメージをどうやって人から人へ渡すことができるか?いろいろあるでしょう.  #そこには対話のプロトコルが...#実は,"気"の科学,があるかもしれない...  地図のすごいところは,客観性を実現していること.#これは科学と同じ.  客観性があるから情報を信用できて,そして,共有できる.  しかし,これは人にとって理解が難しいかも.科学が難しいように.  生活と科学の隔離はあるのだ.それを埋めるべきか???  科学者は,現実世界のあらゆる現象の測量士のようなもの.#ちょっと狭いね.解釈が...  しかし,みんな測量士にならなくてもいいように,測量結果,つまり地図だけを  利用すればいいのだよ.一般人は.だから,皆,科学者にならなくてもいいのだよね.  しかし,そろそろ,心の地図(つまり,主観認知地図)も測量して共有化したい.  #科学者として.  ここまで行くと,アートの世界に近くなる.アートと科学の融合???  これをやるには,科学もExpert,そして,アートもExpertにならねば,  ならないのだろうね.  #単に思いです.難しいのだろうねこのエリアは..."Digital Inner Space"  #締め切りがあると,エッセイが増える...現実逃避...  #窮屈なところから,逃げたいから...#現実逃避の空間情報科学  #逃げるのではなく,魂を解放させることだ...#切りがないから今回はこれで.  (2001.6.9, M.Arikawa)
「あたえる人ともらう人...」  人はあたえれば,あたえる程,自分の能力が増幅される.  また,あたえれば,その分,自動的に返ってくるものだ.  あたえる,とは,ちょっと抽象的だが,愛とかボランティア  とか教育とかイニシアティブとか,いろいろあるが,とにかく,  自分から出すもの.あたえる人は,見ていても,カッコ良いし,  いっしょにいても気持ち良い.あたえれば,あたえるほど,  より多くあたえることができるようになる...  #なんのこっちゃ.よく説明できないが.これは何かあるはず.と感じてます.  人にあたえ続けると,神からこんどはあたえられる,ということかな.  このあたりは,体験者でないと分からないだろうな.  人の能力は使えば使うほどますます高くなる.出し惜しみするようなものではないのだ.  #と私は思う.理想的には...  もらう人.ためこむ人.自己中心的な人.出し惜しむ人.守る人.  人にはいろいろありますが.....  #せこい人にはなりたくない...  人が別の人にあたえる.それをもらった人が,他の人への  あたえ方を拾得し,また,その人が他の人へあたえる.  これが良い循環(Positive Feedback)になり,コミュニティ/社会が  栄えるのだろう.  #これを宗教と言ったりもするのだろう???  (2001.6.9, M.Arikawa)
「最高のハードウェア...」  人は失敗する.知らないことも多い.それで立ち止まってはもったいない.  #だって,生まれたときは,知識は何も無いのだから.  それが分かったなら,失敗しないようにする,知るようにする,  という努力を常に行うと,次のステージに行って,今まで見えなかったもの  が見えてくる.常に,変化/成長する自分を楽しみたいものだ.  自分は最高のハードウェアだから....使いこなしたい...  (2001.6.9, M.Arikawa)
「背景を読む力と楽しみ...」  論文を読むとき,その研究の背景や研究者が本当に言いたいことを  読み取らないと,本当に読んだことにはならない.研究者が未熟なときも,  その未熟さを読み取れるのが理想だ.  #そして,その未熟さを定量化して,モデル化したいものだ.  いつも,背景を読み取る力を身につけるようにしなけれ  ばならない.Emailを読んでも,政策を読んでも,新聞記事を読んでも  その表面的な事実だけを見るのではなく,それを作った人,組織などの  背景を読めないと研究者としては一人前ではないと思う.  #ただし,Positiveに読みましょう.  そして,それを理解した結果,人やコミュニティを良い方向へ向かわせる  ように,自分が活動できる余裕が持てるようになるのが,本当にカッコ  良いことだと思う.  (2001.6.9, M.Arikawa)
「研究スタイルはこうありたい...」  作りながら考えて研究する.考えながら作って研究する.  (当たりまえかもしれないが...)  嫌なのは,動かないウソの理論.  #誰も正しいとは証明していない.  #少なくとも,動くということは,1つの大きな証明になる.  (これも当たり前かもしれない.自分が忘れるので,   ここに書いています.)  また,作るだけでもダメで,やはり作って,それを  みんなが分かる理論にしなければならない.  つまり,理論とは,単に難しいのはウソ.  それは,それを説明している人が混乱しているからでは?  真実は複雑であるのは本当かも知れない.  しかし,真実は美しいというのも本当のような気もする.  #実は,これ,学生向けも意識して書いています.  (2001.6.5, M.Arikawa)

Lastupdated on Aug 19, 2002
Masatoshi Arikawa